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22 july

人生は素晴らしい。戦う価値がある。 という言葉を思い出しましたヨ。

「海舟語録」

徳川家の人々にも言って置いたよ、「今度は都合によったら少しヤルかもしれない」ツテ。サウサ、あツちこツちへも手紙がやつてあるシネ、何でも物いりサ、馬鹿馬鹿しいよ。それから面談したのサ。存外早く落ち着いて、一日で事も了つたのだ。松方も礼に来た。 江戸弁がいい。京極夏彦「ヒトごろし」では誰にも共感できないストーリーの中、勝海舟だけが魅了的に描かれていた。

「ヒトごろし」京極夏彦

久々の京極。ゴールデンウィークに読んだのだった。

『邪悪な天才』

どいつもこいつもゴミ屋敷に住み、狂い方が尋常じゃないって尋常じゃないから狂っているのだが、そこには何もないただ狂ってるだけのゴミ。

「ソロモンの歌」トニ・モリスン

serpentwithfeet のインタビュー記事を見て手に取った。1977年の著作、今まで知らなんだ 。 抑制の効いたヒップな文章と会話。 「ハイ」(中略) 「それはそういう言葉だい?」(中略) 「こんにちはという意味だよ」 「だったら、そういうふうに言うんだね」 「わかった。こんにちは」 「そのほうがいいよ。何の用だい?」 「別に。通りかかっただけなんだ」 「そこに立って、見ているみたいだけどね」 「ここにいて欲しくなかったら、パイロットさん、ぼくら帰るよ」(中略) 「わたしはああして欲しい、こうして欲しいというような人間じゃないよ。あんたのほうこそ何か用があるんだろ」 「ちょっとおばさんに聞きたいことがあるんだ」 てな調子。 当時は固くて読みづらい、ちょいと権威のある文学作品として読まれたのだろうか。 いやいやかなりイカしてます。

「Identity」Wired 日本版 VOL.30

中動態から始まる新しい 。暇の搾取の世紀という國分功一郎、退屈とは傷でありアイデンティティであることが当事者研究から見えてくるというのは熊谷晋一郎。若林恵編集長のラストスタンド。

「家族ってなんだ?」考える人 2015年冬号

山極寿一が個食はサルへの退化だと言えば、山口文憲はボッチ席結構ではないかと書く。明治民法後、昭和新憲法と新民法後の家族小説の系譜を斎藤美奈子がレビュー。是枝監督と『エル·スール』。森から出たサルは二足歩行をはじめた。食料を運び、確保するため、危険から身を守るために、コミュニティと家族を必要とした。猿同士を結びつけたのは共感力。脳を使う必要性が生じたのだという。森を出たのは600万年前、脳が大きくなりはじめたのは200万年前。 たぶん人類は、肥大した脳を収縮するためにコンピュータを発明した。人類さまは神さまです、なんつて。 “それは能力の減退だ。減退はいかん。食い止めるのだ。ヒマ人たちよ立ち上がる時だ。” スチャダラパー「ヒマの過ごし方」

「リリー&ナンシーの小さなスナック」

諦念の文学。

「JAMJAM日記」殿山泰司

かつて呑み歩いていたときのことを酒の季節と呼ぶかんじ。出てくる固有名詞をメモしたり検索したりしながらゆっくり読んでいる。「フォーエバー・ヤン」「ミュージック捜査線」もそう。

「日本語以前」大野晋

たとえば寿く(ふく)、祓う、乞いなむ(祷る)といった古語に触れ、タミル語との共通ルールを見つけて戯れるのは楽しそうで、実際その堀井憲一ノリの調べっぷりに嬉々として現れていると思う。大学の国語の課題図書だった。で?何なんだ?何もないのか?みたいな批判的なレポートを書いてしまった気がする。若気のアレだが20年ぶりに手に取った読後感は相変わらずで。

『メッセージ』

おまえに道具(武器)を与えよう、言語のアップデートと時間を扱える新しいクラスを。てなことでしょ。今っぽい。オブジェクト指向メタSF。世相にも切り込んでる。原作はデッド・チャン。演出も抑制が利いていて映像が気持ちいい。原題はARRIVAL。

「路上のジャズ」中上健次

“コードを喰い破り、音を喰い破り” “コード、あるいは法・制度を””自然” と名付けてみれば、ジョン・コルトレーンのコードの無効化の闘いが理解してもらえるかも分からない” “私はただ、歩き廻る。架空のオペラたるニューヨークはアイラーのジャズが永久に耳に届かなくなった今、ニューヨークという名すらはぎとられ、寒く凍てつく の場所だ。架空のオペラ、即ち ” 示唆にトンでる。 健次が言う交通とはCommunicationあるいはPray てなことなのだろう。たまにJamってる