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「騙されてたまるか」清水潔

文庫X、「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」の代替として。時代が1周して調査報道がニュージャーナリズム、ある意味ゴンゾージャーナリズムとして復活。「見たきたように書く」の基本。「ドローンランド」の刑事もそうだったけなとシンクロ。メディアのあり方が話題になった1年。インターネットの敗北?

「海獣の子供」五十嵐大介

からのブックツリー。

「小商いのすすめ」平川克美

人が誠実であったのは、戦前戦後の一瞬だけ。誠実さとは身の丈を知り、人の行動や思いは不連続であることを許容することだ。不連続とは、一貫性を壊して均衡を保つこと。一貫性はときに行き過ぎる。歳をとると頑固になる。頑固な年寄りは詐欺にかかりやすい。弱さを富で隠しているから。 サンデル、ピケティ、橋本治、柄谷行人、岩井克人、ナオミ・クライン、エマニュエル・トッド、中島らも、町田康がとっくに予言していた。新自由主義が人を数字とセンサーだけで動く虫にしてしまうことを。 てなことは書いてないが、そんなことを読後に思いを馳せましたとさ

「ドローンランド」トム・ヒレンブラント

ミラーリングスペースにドロンします。何つって。

「ゼロヴィル」スティーブ・エリクソン

「九階はたぶんまだ九階だろう」とヴィカーは言った。 近しさ、リズム、とにかくそれをめざして、連続性なんて糞食らえ、だったのよ 「まだ起きていないシーンは」ヴィカーはテーブルを囲む人々に説明する。「もう起きているんだ」。 「映画はすべての時代の中にある」ヴィカーは言う。「すべての時代は映画の中にある」 で『殺しの烙印』を観た。

『オデッセイ』

えっ?こっちも出ちゃっていいの?カブってない?というマット・デイモンの心配をよそに、大丈夫、切り口が違うから、なんつってつくられたかは知らないが、宇宙モノと思いきやアメリカ人のDIY精神を讃えるパンクな作品。でも音楽はディスコ。火宅の人じゃなくて火星の人。

『バクマン。』

『エースをねらえ!』の出崎統よろしく紆余曲折ある話をテンポよくまとめた大根仁監督がヤバい。何このグルーヴ感。終わるからいいんだというメッセージ。

『チャッピー』

レイシズムを徹底的に憎んだ結果、こりゃキカイノカラダを得るしかないなと。そんなかんじ。 「ヨハネスブルグの天使たち」を読んでいた。 ダラスで警察がロボット爆弾?を使ったと報道された。

「ピダハン」

NHK「アマゾン最後の秘境」と併せて。業がデフォルメされた世界。素朴とか、オーガニックとか、争いがないとか、本当か。

「フラッシュ・ボーイズ」マイケル・ルイス

コンピューターはマイクロ秒で動く。超高速手続によるハッキングの話は『アッチェレランド』という小説にも出てきた。350マイクロ秒遅らせることで公平性を保つという意外な現実。 http://m.finance.yahoo.co.jp/news/detail/20160324-00416529-mosf-stocks;_ylc=X1MDMTE5Nzc4NDE4NQRfZXgDMQRfeXJpZAMydGVkajJsYmlpajRoBGcDMjAxNjAzMjQtMDA0MTY1MjktbW9zZgRsYW5nA2phBG9yaWdfbGFuZwNqYQRvcmlnX3JlZ2lvbgNKUARwb3MDMARyZWdpb24DSlAEc3ltYm9sA0lFWA-- 複雑性をできるだけ排除るすることによる、ノーマルアクシデントの顕在化。 フロントランは第一線という意味ではなくて先回り、先取りということ。感性ではなく情報インフラを持つか、持たざる者かということだけ。

『アッチェレランド』チャールズ・ストロス

「あるサルにとっての幻覚は、別のサルにとっての宗教的法悦となる。そして、どれが幻覚でどれが宗教的法悦になるかは、その時代にどの神モジュールが支配的であるかによって変わってくる。おまえたちというのは、そういう種なんだよ」 アイネコというキャラがじつに魅了的で、これがシンギュラリティの産物なのであれば素直に従います。そういう視点で『夏への扉』を読んでみようか。

『ヘンな日本美術史』山口晃

このかんじ。このグルーヴ感。 私もこの絵を大学生時代に展覧会で見たのですけれども、非常にシビれた記憶がありまして、絵の前で叫びだしたくなったのはそれが初めてでした。その時は何とか抑えたのですが、最近ではそんな情熱も余り無くなってきましたので、今にして思えば、叫んでおれば良かったなあと悔やまれてきます。