再評価されているケインジアンのひとり、下村治に興味を持って手に取ったが、中身は沢木耕太郎節の群像劇。「危機の宰相」、まさか最後に三島由紀夫につながるとは。当時の日本の政治経済に「世界の静かな中心であれ」と警鐘をならした言葉は観念であるが今の世相にも刺さるものがあるような。「テロルの決算」、浅沼稲次郎と山口二矢それぞれの、親子の描写にすべてが収斂されていくのはやはり沢木節ゆえか。胸を打つというか刺す。
課長が言う「自意識が強く、観念的で、理想や言い訳ばかり並べ立てる。それでいて肝心の目の前にある現実をなめる」「わかった気になってそれらしい顔をする」。それを超えてようやくスタート地点に立てる。まともな仕事人になれる。了解です。その上で、こだわるな、逃げろと言っているのだなというのが、最後のパラグラフについてのわたくしめの解釈。お疲れさまです。